異質なものへの適応(2)

これも私の仮説だが、英語が上級レベル(英検1級、TOEIC980点、国連英検特A級)までマスターした人は、最終的に英語に対する拒絶反応を抑え続け、マスターすることに成功した人であると言える。この種の人たちは、長期間、粘り強く、異質な外国語である英語に対して、働きかけ続け、英語に対する柔軟なアプローチができた人たちであると言い換えても良いだろう。

今後10年間で、日本とアジア諸国の間で、人・物・情報の交流が飛躍的に活発化することを考えると(必然の流れだと思う)、異質な者に対するコミュニケーション能力の大切さは、強調してもし過ぎることはない。最終的には、アジアで一番経済的な力のある国の言葉が共通語になる可能性が高いと思うが(この点で中国語のポテンシャルは高いかもしれない)、初期段階での共通語は、恐らく「英語」になると私は見ている。なぜなら、アジアには欧米に留学した人が多く存在するからだ。

またも、話が脱線した。本論に戻そう。

これも私の仮説であるが、視野の狭い人間や、偏狭な心の持ち主は、恐らく英語がマスターできないかもしれない。英文法などの勉強で、難解で訳が分からなくなって、英語を物にすることをあきらめるタイプの人はこれに該当すると思う。日本語の発想で英文法がすっきりと理解できないときでも、「英語ってこんな言語なんだ」と妥協する精神的な余裕も必要であると思う。とにかく英語の学習マラソンコースを走り続けている内に、分かる日が来るかもしれない、と考えることが大事である。

特に英語の文法や語法が、腑に落ちないときは、焦っては駄目である。つまり、あまり深追いせずに、「取り敢えず、これはこう言うことか」と流しておくことも必要である。場合によっては、丸暗記でそのまま「丸飲み」しても構わない。英文法に関しては、新鮮な疑問を長期間保ち続けながら、少しずつ異質な英語を取り込んでいく努力が必要だと思う。一度ですべての疑問が解消すると思わない方が安全なのである。英語を本格的に読んだり、書いたりするときが来て、はじめて納得できる語法や文法事項もあるのだから。私の場合、そうであった。

一例を挙げよう。

私は、過去おびただしい数の英語の契約書を日本語へ翻訳してきた。その中で、助動詞として知られる ‘shall’ と ‘may’ のニュアンスと使い方がしっかり身に付いたような気がする。また、大学時代の講義でたまに出くわした、堅苦しい表現(hereby, therefore, thereafter, whereby, hitherto, notwithstanding など)も英語の契約書を通して、その使い方や意味が本格的に体得できたような気がする。これらの単語は、英和辞典だけ意味だけ分かっていても、使えるようにならなかったと思う。

初対面の人のすべてが一度に理解できないのと同じように、日本語が母国語の人にとっては、英語の正体も長年付き合ってみないと分からないものなのだ。DNAが違うのだから当然である。英語の新しい語彙、語法、文法現象、表現に出会ったら、まとまった期間追跡しながら、観察することが大事である。だから、英語の学習者は、せっかちな性格でない方が良いと思う。これは、声を大にして言えないが、初級および中級学習者では、英語に対して完璧主義者でない方が良いと思う。

個人差もあるだろうが、通常は、自分で表現したいことが英語である程度まで話せたり、書けたりするようになるまで、数え切れないほど失敗を繰り返しているはずである。私もそうであった。英語の文法や語法で挫折する度に、「英語って面倒くさい言語だ。何で日本語の発想やロジックと同じでないのだろう。」といじけたこともあるし、「英語には『西高東低』のようなコンパクトな表現がない。駄目な言語だ!。」と勝手に得意がっていたこともあった。

私の場合、今でも、英語に対する異質な感覚は完全に消えたわけではないが、かなり違和感は低くなってきているような気がする。大学生の頃から、20年に以上も英語と付き合ってきているせいかもしれない。8年間のイギリス留学で、英語という言語のDNAを構成する要素となる、イギリスの文化や社会、歴史や政治、風土、食文化、ユーモア、人種などを身をもって経験することで、私なりに英語という言語が持っている臭いというか、感覚が身に付いてきたのかもしれない。

外国語である英語をマスターすることで得られるメリットはたくさんあるだろうが、私が特にお奨めするメリットの3つは、以下に要約できる:

(1)「じっくりかつ粘り強く、物事を極めていく方法を体得できたこと」

(2)「固定観念に縛られず、すべての現象を柔軟に解釈しようとする精神構造が身に付いたこと」

(3)「グローバル規模で物事を捉えることができる、複眼的な思考回路ができたこと」

この続きは、次の投稿で述べることにする。

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異質なものへの適応(1)

英語と日本後では、ことばのDNAが違う。ここで言うDNAとは、ある言語に関する文法、語彙、コロケーション、 発想、発音、歴史、文化などを含むと考えても良いだろう。 日本語が母国語の人の場合、英語に対して感じる違和感や、英語に対して示す拒絶反応は、言わば自然な反応現象と言っても良い。英語と親戚関係にある言語、例えばドイツ語やオランダ語の話者が、英語をマスターする際にさほど拒絶反応を示さない。これは至極当然のことである。

なぜなら、両者の言語が言語学的に見て非常に多くの点で似た部分を持つからである。もっと詳しく言うと、欧州で話されているほとんどの言語(インドヨーロッパ語族という言う)は、祖語が1つであることが分かっている。つまり、これらの言語は、長い時間を掛けて現在の言語に落ち着いてきた歴史を持つのだ。

話が横に逸れた。最近よく考えることが1つある。英語の取得を単に語学をモノにする修行と捉えるのではなく、自分が異質 なものに対してどの程度耐性があるかを測るバロメーターとしてみてはいかがであろうか。英語の発音が難しい、文法が難解だ、文の構造が分かりにくいなど、日本人の英語学習が良く口にする苦情である。ここに、同質なものでグループを作ることが好きな大部分の日本人が持っている、異質な物(人、物、言語、文化など)に対する適応力の弱さが露呈しているとは、言えないだろうか。

英語をある程度マスターした私から言わせて貰えば、「言語学的に異質な英語が、日本語に対する直感を適用して、簡単にマスターできるはずがない」と思うのである。日本語の発想で「山火事」を英語で ‘mountain fire’ と言っても、残念ながら英語ではこう表現しない。英語では、山に生えている樹木が燃えている部分に注目するので、’forest fire’ というのだ。

ここで、「英語ってなんて面倒なんだ。mountain fire でいいじゃないか。」 といくら抗議してもあまり意味はない。言語によって、同じ現象を目にしていても、切り取り方や注目の仕方が違うという点に好奇心を持って食らいついていける人が、外国語をマスターできるような気がする。

日本語から見ると異質な言語である英語の学習において、日本語という母国語の常識が英語に通用する部分と通用しない部分をふるいに掛けていく作業がどうしても必要になると思う。これは、一長一短では達成不可能である。一度にたくさんやっても学習した内容を吸収できない面もあるからだ。気長にやっていくしかないのである。私の仮説であるが、性格がせっかちな人は、ちょっと英語をかじっただけで、学習効果が出ないと、簡単にギブアップしてしまうような気がする。もったいない!

これは、私の仮説だが、英語のレベルが初級から中級のうちは、とかく英語に対する違和感や異質感について、むきになってしまう人が多いような気がする。実は、学生時代の私もそうであった。日本語を使いこなすのと同じ感覚で英語の一部を操ろうとすると、先生にミスを指摘されたり、笑われたりすることも影響しているのかもしれない。この時期、「英語の発想やロジックで考えなさい」と言われても、’It is easier than said done.’ (実行するのは、言うほど簡単ではない)ことを痛感するであろう。

英語と日本後では、ことばのdnaが違う。dnaとは、文法、語
彙、コロケーション、 発想、発音、歴史を含む。 日本語が
母国語の人の場合、英語に対する拒絶反応は、言わば自然な現象と言え
る。

英語の取得を単に語学をモノにする修行と捉えるのではなく、自分が異質
なものに対してどの程度耐性があるかを測るバロメーターとしてみるので
ある。

英語の学び方(1)迷いを捨てる

もし真剣に上級レベルまで英語をマスターしたい、どうしても英語力を身に付けなればならない、という人向けにアドバイスしたいことがあります。これは、あくまでも私自身の仮説ですので、ここで述べることに対する評価は、読者の皆さんの方で判断して下さい。私個人の生の声をお届けします。

前提:日本の大学を卒業してから、英検2級程度の英語力で海外に留学した日本人である「私」という枠組みで以下のことをお話します。

(1)イギリスの語学学校へ留学してすぐに、最初の壁が私を待ち受けていました。同じ学校の日本人から、「変な日本人」というレッテルを貼られてしまいました。当時の私は、24時間英語漬になり、とにかくスケールの大きな英語力を身に付けたかったので、誰に対しても「英語」でコミュニケーションをお願いしていました。日本人に対してもです。これが、誤解を生んだみたいでした(一人一人の受講生に確認していないので、断定は避けています)。

(2)私としては、英語を学ぶために貴重な時間とお金を費やしてイギリスに滞在していたので、以下のように割り切って考えていました。

  • 英語ばっかり、喋っていると日本語を忘れるというけど、数年の留学だけで何十年も操ってきた母語である日本語を簡単に忘れるわけがない。
  • 最終的に日本に帰れば、日本語は思う存分読み書きできるし、話すこともできる。焦る必要はない。当時のイギリスでも、多少は日本語の情報誌が出始めていたので、それで満足。
  • 「日本人なのに、日本語を喋るべきだ」とか「日本語を粗末にするのか」というコメントを吐く学生は、一時的に無視していました。そんな人に関わっていたら、自分の学習ペースを乱されることが分かっていたからです。
  • 「日本人なのだから、英語ばかりできてどうするの。先ず、母国語の日本語の能力をもっと極める方が優先でしょう。日本人だから日本文化や日本の歴史、社会、経済、政治、教育などについて、日本語で豊かな見識を身に付ける方が先だ!」の類の意見も、一時的に無視していました。

どうして、無視していたのか。結論から言うと、幕の内弁当式にあれも、これもと欲張って、周囲の人に良く思われようと、バランス良く勉強しようとすると、自分のペースで勉強できなくなるからです。本当に、英語が必要な人は、周囲の「ノイズ」に耳を貸すことなく、先ず英語力を身に付けることに専念すべきです。

個人的には、2年間、本気で3000時間程度の学習時間(週5日間勉強した場合、毎日5時間程度のレッスン時間を確保することになります)と実践時間(教室の外で実際に英語で意思疎通する)を確保すれば、上級レベルの英語力は身につくと確信しています。

限られた予算と時間と人的物的資源に基づき経営を行わなければならない中小企業のことを考えてみて下さい。この会社の社長が、「弊社は30の事業に進出する!」とかいったら、社員は不安になることでしょう。紙幣を印刷して利益を出せるのなら、こんなことを言う社長さんがいても、納得できないこともありません。会社がコア・コンピタンス(中核となる能力)に基づき、資源を効率的に配分して利益を追求するのは、当たり前です。あれも、これもと欲張って、薄っぺらい予算配分、資源配分をやってしまうと、すべてが中途半端な経営になってしまいます。

さて、本題に戻しましょう。英語を身に付ける際は、中途半端に勉強してはだめです。周囲のノイズは、例え的確なアドバイスでも、とりあえず無視しましょう。がむしゃらに勉強しているあなたのことを「バタ臭い」とか「非国民!そんなに英語が好きなら、アメリカに行け!」とか言う人がいても、とりあえず無視しましょう。英語のレベルが上級になった時点で、それまで無視してきたことは、再検討すればよいと思います。その時点で、「人格者」に戻ればよいと思います。

周囲の人のコメントに敏感になるが故に、外国語の勉強に取り組む自分の姿に迷いが生じてしまうと、学習効果にも影響してきます。思ったほど英語が伸びないと思います。

英語をがむしゃらに学んでいるときは、人格者である必要はありません。周囲のノイズを耳にしても、「迷わない」ことに専念しましょう。英語力が十分身に付いたら、母国語である日本語や日本の文化について再認識する時間を設ければ良いだけのことです。もちろん、これが同時に本格的にできる人は、そうしてください。世の中には、マルチタレントな人はいると思いますので。

人生とは、選択の連続です。ある時点で何かを選択するということは、別の選択を「切り捨てる」ことを意味します。1つを選択すると、もう1つの選択肢は、過去に置き去りにしなければなりません。長年、足して2で割ったような選択ばかりしていると、すべてが中途半端な人生になるリスクを抱え込みます。こういう人生を歩んでいると、恐らくストレスがもの凄く貯まると思います。50歳前後で体や心の調子がおかしくなる人が増えている印象を受けているのは、私だけでしょうか?もう少し、自分の魂の叫びに耳を傾けてみるべきだと思います。

話が逸れましたが、英語の取得(マスターすること)を選択したら、それに一定期間は邁進(まいしん)してください。目標を達成した段階(つまり、上級レベルの英語力、または自分の必要とする英語力が身に付いた段階)で、必要に応じて過去に置き去りにしてきた「自分」に会いに行けばよいのです。こうして、昔の自分に再会して下さい!この時点で、過去に置いてきた自分の選択について(別の形で実現可能かどうか)再検討しても良いでしょう。別の形で、昔の「希望」が実現できるかもしれませんから。

私自身、小学生のときに野口英世の伝記を読んで、医者になりたかった「自分」を置き去りにしています。しかし、イギリス留学中に臨床獣医学誌の翻訳チーフとなる好機に恵まれ(道のりは平坦ではありませんでしたが)、日本に帰国した後も、医学関係の翻訳を続けています(イギリスの翻訳会社から、どんどん仕事が来ています)!

これと関連して、現在の私は将来看護師となる学生相手に、医療・看護英語なるものも教えています。過去のなりたかった「自分」が、少し違った形で今の「自分」に再会しているわけです。これって、素晴らしいことだと思いませんか?

1つのことを達成したというプチ的(小さな)自信は、プラスの循環エネルギーを生み出していきます。英語で言うと、self-confidence が起爆剤となって、次のチャレンジに対する意欲や好奇心を生むといっても良いかもしれません。プチ成功したら、過去のなりたかった自分の一人に(ニックネームでも付けて)、部屋で一人のときに、こう問い掛けてみてください-「XXさん会いに来ましたよ。ちょっと、時間とエネルギーに余裕ができたので、置き去りにしたあなたと、これからの人生一緒に何かやりたくて、相談に来ました」とね。

「そんなに、英語ばかり勉強しても、専門知識や専門分野がないと、会社に就職しても駄目だよ!」という、あなたをけん制するコメントも一時的に無視して下さい。社内で断トツ、またはかなりハイレベルの英語力を身に付けた段階で、方向転換すれば良いだけのことです。その時点で自分に欠けていると思える「資格」や「専門分野」を集中的に身に付ければ良いだけのことです。

ここで、あなたが有利に立てることがあります。それは、必要な資格や専門分野に関する知識を日本語と英語で勉強できるという点です。分野によっては、英語の方がリアルタイムで情報が得られる内容があるでしょうから、必要な文献に関していちいち日本語の翻訳版を待たなくても情報がすぐに吸収できます。また、短期集中講座などのコース、通信教育などのコースも、英語で受講できる能力があれば、日本国内だけで受講先を探す必要もありません。

ということで、「短い人生、迷っている暇があったら、今すぐにでもアクションを起こしましょう!」というのが今日のメッセージです。迷わず英語を勉強してください!

BBC News Online 危険な犬種のオーナーは強制保険加入?

出典:http://news.bbc.co.uk/2/hi/uk_news/politics/8556195.stm

イギリスでのお話。現労働党が、国が指定した攻撃的な犬種を飼っているオーナーに対して、強制的な保険加入を目指した法案を検討しているようです。アイデアとしては、素晴らしいと思います。現実的に導入・施行となると、一部の犬のオーナー、保険会社、犬に襲われやすい職業に就いている人たち(ミルクマン、新聞配達員、郵便配達員、宅急便など)の利害関係の問題が一気に浮上してくると思います。この記事でも、予想される問題や困難について、いくつかの視点から記事が書かれています。

以下記事の一部を引用します。ここで、muzzle という単語が出てきますが、犬のオーナーであれば、是非知っておいて欲しい単語です。

Police and local authorities could also be given powers to force owners of dangerous dogs to muzzle them or even get them neutered.

local authorities: 日本語では、「市町村」、「地方自治体」、「当局」などが対応する訳として挙げられます。常に複数形の形で使われるのがミソです。

muzzle:犬にする口輪といったら理解しやすいでしょうか。カタカナで「マズル」という言い方も、一部の人では通じるかもしれません。

April Fools news from BBC!

’10 stories that could be April Fools… but aren’t ‘ という見出しで、April Fools の日にBBCで発表された うそのようで本当な話をどうぞ!なお、サイト上にある「ペンギンの動画」は、ジョークです。

The following news from the BBC online News are ‘real’ stories. Click here for the articles.

英語表現(16)-銀座眼科のニュース

このニュースを英語で説明するときに、以下のキーワードが役に立つことでしょう。

眼科: eye clinic / ophthalmology

滅菌装置: sterlizer

感染: infection(s)

発症: onset of (a disease)

レーシック手術: LASIK = Laser-Assisted in Situ Keratomileusis

感染性角膜炎: infectious keratitis

衛生管理: sanitary precautions

保健所:public heath centre(英)/center(米)

昨日買った本-「恥と誇りを忘れた母国・日本へ」(渡辺幸一著)

自分が大学生のときもそうでしたが、日本人論および日本論の本は興味あるテーマの1つで、今でも気になる本があると衝動買いして読んでいます。この本も昨日購入した5冊の本の中の1冊です。まだ、本文は読み始めていませんが、日本での安定した仕事を捨て、1990年に家族と一緒に渡英した著者の決意には、何か惹かれるものがあります。日本人としてイギリスの金融街 (the City) に一人で飛び込んで行き、18年間ロンドンのシティーで仕事をこなした彼の精神的なタフさには、拍手を送りたいと思います。

まえがきの部分に、イギリスにきてから、自分が日本人であることや、日本という国について、より鮮明に意識するようになった類の説明がありました。慣れ親しんだ日本語や日本文化から距離を置き、他国の言葉や文化に身を置いてみることが、自分のアイデンティティー(identity)を見つめなおす良いきっかけを与えてくれることが多いのですが、この著者もそれを経験したようです。私も、8年間の英国における生活を通して、自分のアイデンティティーや日本文化・社会、日本語と英語の違いなどについて、よく考えたことがありました。

ほとんど例外なくある言葉とその文化は密接に絡み合っていますから(’A given Language and its culture are almost always closely interwined.’)、短期・長期留学などで日本という国や言葉・文化と距離を置いてみると、自分の国のことをより鮮明に意識できるきっかけになるかもしれません。興味のある方は、この本を手にしてみてください。