異質なものへの適応(1)

英語と日本後では、ことばのDNAが違う。ここで言うDNAとは、ある言語に関する文法、語彙、コロケーション、 発想、発音、歴史、文化などを含むと考えても良いだろう。 日本語が母国語の人の場合、英語に対して感じる違和感や、英語に対して示す拒絶反応は、言わば自然な反応現象と言っても良い。英語と親戚関係にある言語、例えばドイツ語やオランダ語の話者が、英語をマスターする際にさほど拒絶反応を示さない。これは至極当然のことである。

なぜなら、両者の言語が言語学的に見て非常に多くの点で似た部分を持つからである。もっと詳しく言うと、欧州で話されているほとんどの言語(インドヨーロッパ語族という言う)は、祖語が1つであることが分かっている。つまり、これらの言語は、長い時間を掛けて現在の言語に落ち着いてきた歴史を持つのだ。

話が横に逸れた。最近よく考えることが1つある。英語の取得を単に語学をモノにする修行と捉えるのではなく、自分が異質 なものに対してどの程度耐性があるかを測るバロメーターとしてみてはいかがであろうか。英語の発音が難しい、文法が難解だ、文の構造が分かりにくいなど、日本人の英語学習が良く口にする苦情である。ここに、同質なものでグループを作ることが好きな大部分の日本人が持っている、異質な物(人、物、言語、文化など)に対する適応力の弱さが露呈しているとは、言えないだろうか。

英語をある程度マスターした私から言わせて貰えば、「言語学的に異質な英語が、日本語に対する直感を適用して、簡単にマスターできるはずがない」と思うのである。日本語の発想で「山火事」を英語で ‘mountain fire’ と言っても、残念ながら英語ではこう表現しない。英語では、山に生えている樹木が燃えている部分に注目するので、’forest fire’ というのだ。

ここで、「英語ってなんて面倒なんだ。mountain fire でいいじゃないか。」 といくら抗議してもあまり意味はない。言語によって、同じ現象を目にしていても、切り取り方や注目の仕方が違うという点に好奇心を持って食らいついていける人が、外国語をマスターできるような気がする。

日本語から見ると異質な言語である英語の学習において、日本語という母国語の常識が英語に通用する部分と通用しない部分をふるいに掛けていく作業がどうしても必要になると思う。これは、一長一短では達成不可能である。一度にたくさんやっても学習した内容を吸収できない面もあるからだ。気長にやっていくしかないのである。私の仮説であるが、性格がせっかちな人は、ちょっと英語をかじっただけで、学習効果が出ないと、簡単にギブアップしてしまうような気がする。もったいない!

これは、私の仮説だが、英語のレベルが初級から中級のうちは、とかく英語に対する違和感や異質感について、むきになってしまう人が多いような気がする。実は、学生時代の私もそうであった。日本語を使いこなすのと同じ感覚で英語の一部を操ろうとすると、先生にミスを指摘されたり、笑われたりすることも影響しているのかもしれない。この時期、「英語の発想やロジックで考えなさい」と言われても、’It is easier than said done.’ (実行するのは、言うほど簡単ではない)ことを痛感するであろう。

英語と日本後では、ことばのdnaが違う。dnaとは、文法、語
彙、コロケーション、 発想、発音、歴史を含む。 日本語が
母国語の人の場合、英語に対する拒絶反応は、言わば自然な現象と言え
る。

英語の取得を単に語学をモノにする修行と捉えるのではなく、自分が異質
なものに対してどの程度耐性があるかを測るバロメーターとしてみるので
ある。

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